正確なピラティスの知識 パート②
前回に引き続き、今回も少ししたピラティス歴史クイズです:
① 第1次世界大戦の1914〜1919年の間、ジョセフ・ピラティス氏は:
戦闘兵として戦った
捕虜になった
強制収容所に入れられた
抑留キャンプに入っていた
② ジョセフ・ピラティス氏は以下を健康にいいと実践していた:
ベジタリアンな食生活
禁煙
禁酒
上記すべて
全て当てはまらない
③ ジョセフ・ピラティス氏は自身のメソッドを以下のように呼んでいた:
ザ・ピラティス・メソッド
ザ・ピラティス・テクニック
コントロロジー
ジョセフ・ピラティスのエクササイズシステム
④ ジョセフ・ピラティス氏は1967に以下の理由で亡くなった:
スタジオの火事
スタジオの床が抜けて落ちた
火事で焼けているスタジオからマシンを運んでいる途中
火事になったスタジオの1年後

これはスタジオの広告のためジョセフ・ピラティス氏がデザインしたポスター
答えは以下の通り:
① 4.
ジョセフ・ピラティス氏は戦争で兵士として戦っていないので、捕虜にはなっていません。ドイツ国籍としてイギリスにいたため、最初にランカスター、のちにアイル・オブ・マン (Isle of Man)の抑留キャンプ(収容所より人間らしく扱われます)に入りました。ここでジョセフ・ピラティス氏は自分のメソッドを開発し続け、実践していた負傷兵は1918年に流行ったインフルエンザで誰も命を落とさなかったという有名な話があります。
② 5.
ジョセフ・ピラティス氏はドイツの食べ物、お酒、葉巻をとても楽しんでいました。1962年の「健康維持の秘訣:動物のように動く」という記事に毎日約1リットルのお酒、ビール数本、そして15本の葉巻を吸うと話していたそうです。
③ 3.
現在「ピラティス」と使われているメソッドは元々「コントロロジー」と呼ばれていました。身体、頭、精神をコントロールする事を学ぶ方法です。初めて「ピラティス・システム」という言葉が使われたのは1972年にクラーラからジョセフ・ピラティス氏の愛弟子のロン・フレッチャー宛ての手紙だったそうです。クラーラが89歳の誕生日を迎えて「女性はそこまで歳になってはいけないような気がするけど、ピラティス・システムのおかげで元気です」と書いたそうです。
④ 4.
これも色んな説が出回ってますが、当初スタジオに住み込みで働いていた愛弟子の一人、ブルース・キングは火事について語った時は、火事の翌日にジョセフ・ピラティス氏がスタジオの被害を偵察にしに来て、その時に焦げた床板が体重に耐えきれずジョセフ・ピラティスが落ちそうになったが梁にしがみついて自分を引き上げたそうです。ジョセフ・ピラティスは進行肺気腫のため1967年10月7日、83歳で亡くなりました。以下はニューヨークタイムズ紙が載せた訃報です。年齢が誤っているのと「ボディビルダー」になっているんですね。。

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